建築の跳躍力 第4回講演:森山邸・HOUSE A・十和田市現代美術館/西沢立衛:近作について
 
地球をつくる人  執筆者:山崎泰寛(建築ジャーナル)
 西沢立衛さんの講演を言葉にするのはとても難しい。それも、うかつに手を出すと確実に火傷するタイプの難しさだと直感している。なぜならば、西沢さんは、一見、とても平明な言葉で建築を語っているように見えるからだ。ものすごく難しいことを、こともなげに。
 発言の一つ一つには想像力の原点や真実が色濃くにじんでいるに違いない。うまく言えないのだが、西沢さんの言葉は、ある種の恐ろしさを帯びているように思えるのである。しかし、その恐ろしさに、芯から震えたい。あえてその建築のただ中に飛び込んでみたいと思わせる力強さが、その言葉の端々にみなぎっている。

 まずは、2月28日に語られた作品を順に振り返っておこう。

1. 豊島の現代美術館(2010年竣工予定、西沢作品)
2. 森山邸(2005年、西沢作品)
3. HOUSE-A(2006年、西沢作品)
4. 十和田市立美術館(2008年、西沢作品)
5. トレド・ガラスパヴィリオン(2006年、SANAA作品)
6. フラワーハウス(2007年、SANAA作品)
7. ニューミュージアム(2007年、SANAA作品)
8. EPFLラーニングセンター(進行中、SANAA作品)

 ざっと眺めると、話題の前半が西沢個人の事務所による設計で、後半は妹島和世さんと協同するSANAAによる作品が並んでいることが分かる。最初と最後は進行中の現場の話だ。未完のプロジェクトを両端に配置して、近過去をサンドイッチしている。近年の関心を現在の建築へと一気に引き寄せて考えることのできる構成である。
 個人名の仕事とSANAAの仕事を地続きに語られることで、どの作品についても西沢さんの刻印を見ることができる。西沢さんは規模の大小で両者を分けているようだが、2つの立場があることで、どちらの仕事に対してもどこかで客観的なまなざしを保っているように感じられた。いや、逆だろうか。一見引いたように見えて、実はまっすぐに胸元に飛び込んでくる語り口と同様に、どれもが西沢さん自身の刻印を受けているとも思える。

エクステリア
 ところで、この日西沢さんが豊島の美術館よりも前に語っていたのは、「エクステリア」だった。エクステリアとは、ずいぶん聞きなれた言葉である。彼は自らが重視することを2つ述べ、その先でエクステリアという言葉をつぶやいた。
 ひとつ目は「プログラム」だ。西沢の表現を借りれば、「人がどう空間を使うと面白いか」を考えているという。プログラムという言葉が、建物ではなく人間の行動に貼り付いている点が興味深い。「ビルディングタイプを忘れる」とも言っていた。プログラムをビルディングタイプから引き剥がすとは、ずいぶん大胆である。たとえば、展示室と保存室でできた●●。この●●に入るのが、美術館に限らなくなるからだ。決められた室名にはもちろん応えているのだが、その室名の「ために」空間をつくるわけではなさそうだ。
 面白い使い方を想定するのではなく、どういう使い方を面白いと言えるのか。私には、「あなたは何を面白いと思うのか」と聴衆一人一人が問われているように思われた。

ひとかたまりの経験
 もうひとつが、環境である。「建築と環境を別々に考えるのではなく、連続的に考えていく」という。音や熱、光といった環境の要素、あるいは、建築が原理的に触れざるを得ない地形や気候といった状況を指して環境というのではなく、何か「ひとかたまりの経験」を指して、環境という言葉を使っているのではないかと感じた。あるいは、外部に接する建物の表面と、表面のすぐ外にあるものと、すぐ内側にあるもの。それらの関係の集合を指して、エクステリアと呼んでいるのかもしれない。
 私は、この発言のポイントは連続的という言葉だと思う。「環境と建築は一体だ」といった紋切り型でも、「環境として」といった比喩でもない。というのも、お話を伺いながら私は「内と外のあいまいさ」という言い方を思い出し、すぐさま、両者の違いを考えたからだ。あいまいさと連続性は全然違う。乱暴に言うならば、連続性とは、あいまいという言い方に比べて、より経験的かつ明瞭な体験を呼ぶと私は思う。
 ついでに言うと、西沢さんは本当は「あいまいさ」など求めていないのかもしれないと思わされたのが、「House A」を次のように語ったときだ。曰く、庭を取り込むことで「中と外の概念が必要のないものにしたい」という。これは、あいまいな「あいまいさ」ではなく、明瞭な「あいまいさ」を指向している。要求されるプログラムを考え抜くことで、西沢さんの言う「機能と用途が一致しない」状態が積極的に設計されていると感じた。
 連続性は、「十和田市美術館」でも、「都市空間と建築を連続させ」て形を決めると語られた。たしかに、都市の中での位置づけが明瞭でなければ、連続性といっても語るに落ちる。同じことは「EPFLラーニングセンター」でも言えるだろう。ローザンヌの湖畔に建ち上がりつつあるこの建築の説明を聞きながら、私は、なぜ西沢さんが関わる建築は、屋根がほぼ平らに見えるのだろうとぼんやり考えていた。西沢さんにそのことを伺うと、そもそも「屋根と天井はまったく違うものですよね」と言われた。それに、天井については「ものすごく考えます」とも。なるほど。
 しかし、「トレド」の天井は言うまでもなく平らに見えるし、「EPFL」も天井と床の高さはどこをとってもほぼ同じではないか。もちろん、「金沢21世紀美術館」や「森山邸」のように、異なる高さを配することで劇的な経験が生まれている場合もある。しかし、一室ずつを見れば(「EPFL」だって一室だ)、天井と床の距離は並行に保たれている。ただ、そのことをどう考えたらいいのかは、私にはよく分からない。ともあれ、連続性が強調されることで、その場所にいる人が自由にふるまえるような印象は受けた。

地球をつくる人
 だから私は、連続性を持った空間をつくる西沢さんが、巨大なワンルームの美術館を、それも壁と屋根が連続したひとつかみの大きな空間として構想されていることに、とても興味を持った。ここでは、天井と床は、これまでとは逆に、どの部分をとっても全然並行ではない。ひとつながりの大きな一室空間だが、丸いカーブを帯びた天井で覆われている。そして天井(壁?)には2つの穴が穿たれているという。  
 西沢さんは、「森山邸」が竣工した時に、その建物を「狂っている」と感じたという。その表現の率直さにも驚かされるのだが、水滴のような形をした新しい美術館のイメージ画像を見て、私はふと地球の姿を思い浮かべて、ちょっと怖くなった。西沢さんは環境という言葉を使っているが、つくっているのはもちろん建築物である。最近言われがちな、「建築も人も地球の一部」などという陳腐な考え方では決して到達しえない、何かもっと恐ろしい建築を、西沢さんはつくろうとしているのではないかと思う。
 
執筆者プロフィール 山崎泰寛(やまさき・やすひろ)編集者。1975年生まれ、島根県出身。横浜国立大学教育学部卒業。同大学大学院教育学研究科、京都大学大学院教育学研究科修了(教育社会学講座)。保健室、学校建築、子ども用家具を研究。SferaExhibition/Archive(京都・祇園)にて書店、ギャラリーの企画運営に携わり、2007年より建築ジャーナル編集部勤務。2002年より、藤村龍至と、「都市にインタビューする」をテーマにかかげるサイト「roundabout journal」を共同主宰。
 

 
□第4回講演:
森山邸・HOUSE A・十和田市現代美術館/西沢立衛:近作について

□日時: 2009年2月28日(土)

□西沢立衛プロフィール:1966年東京都生まれ/ 1990年横浜国立大学大学院修士課程修了/ 1990年妹島和世建築設計事務所入所/ 1995年〜 妹島和世と共にSANAA 設立/ 1997年西沢立衛建築設計事務所設立/ 現 在 横浜国立大学大学院(Y-GSA)准教授

□森山邸
所在地:東京都/主用途:専用住宅+賃貸住宅/敷地面積290.07平米/建築面積:130.09平米/延床面積:263.32平米/構造・規模:鉄骨造・地下1階、地上3階
□HOUSE A
所在地:東日本/主用途:専用住宅/敷地面積123.4平米/建築面積:73.0平米/延床面積:90.5平米/構造・規模:鉄骨造・地上2階
□十和田市現代美術館
所在地:青森県十和田市西二番町/主用途:美術館/敷地面積4,358.46平米/建築面積:1,685.73平米/延床面積:2,078.38平米/構造・規模:鉄骨造・地上1階(一部2階)