誰がために建築は建つか 第1回講演:中山英之:これまでつくってきたもの

O邸/2009年

 
「これまでつくってきたもの」をきいて  執筆者:木村吉成・松本尚子/木村松本建築設計事務所
会場にはあふれそうなほどの人が訪れていた。
春にしては肌寒い4月のおわり、今年度もはじまったアーキフォーラムの第一回目レクチャーをきく。
ゲストは中山英之さん。タイトルは「これまでつくってきたもの」。
中山さんのつくるものはスケッチであれ建物であれ「日常」という言葉がよく似合う。
それは中山さん自身が「日常」の不思議さをのぞきこみ続けている人である、と思うからだ。

今年度アーキフォーラムのテーマは「誰がために建築は建つか」。「建築」に関わるすべての人に対して等しく開かれた、とてもシンプルで根源的なテーマ/問いかけである。まず中山さんはこの問いかけに対し、「それが問われない状態になるように、共有しながらつくっていく」という言葉をさし出し、レクチャーがスタートした。

ホワイトボードに数本のラインが描かれる。「スケッチ」の始まり。
そこに机や椅子が描き足される。その度にボード上に空間が浮かびあがりそして消えていく。描いた自分とそれを見る人たちが同じ目線で。あらかじめ「空間」があるのではなく、みんなそれぞれに空間の「広がり」を見出している状態が語られる。
その後すべてのプロジェクトは「地面」を共通のワードとし、少しものの見方を変えることが持つ可能性について、空間を発見していく喜びとともに語り進められた。

東京未来予想図
交差点にある高い天井を持つとてもオープンな地面、ガソリンスタンド。車のためであることを「忘れた」元ガソリンスタンドは歩道との境界がどこからどこまでかわからない。道行く人が通り抜けたり雨宿りしたり。そのすみっこに自分が住んでいてそれらの出来事をながめている、そんな未来の風景。
Yビル
もともとガソリンスタンドがあった角地に対してなされた道路拡張の結果、大部分が削りとられ、すみっこに残された小さな地面。1階の床材は前の歩道にゆくゆく舗装される素材と同じに揃えられ、少し先の未来に境界線はあやふやになり、そして広がりを持つ。
O邸 1/計画案
三方を建物にかこまれた細長い土地、そこを用途のあるピロティではなく細長い地面として残す。建物の真ん中にはとても大きい鉄骨柱が列を成してあり、上部の2フロアを支えている。柱の影からは、いろんな生活の行為がきれぎれに見え隠れしている。
O邸 2/竣工したもの
折れ曲がった道のその先のカーブした地面、その先は丸くなっている。ある角度からは塔状にも見えるいくつものとびらを持ったちいさな建物に、寝る以外の機能をすべて持った建物が沿うようにある。明確な形式性を持っているもののそれが何に奉仕しているのかわからない、どこでもない場所がそこにある。
2004
クローバーのものであった地面。その地面を残すところからスケッチがはじまる。スケッチをつかうことはスタッフとコミュニケートすることであり、その行き来は同時に自身が客観的な視点をもつということでもあった。
草原の大きな扉
たくさんの種類の植物が自生する大きな大きな地面,草原。そこに離れてふたつの建物が置かれている。それらが持つおおきなとびらの開閉により、「ある」「なにもない」空間があらわれる。そのあいだで、訪れたひとが自分のための場所をそれぞれに見出す。
雑木林の納屋
雑木林のなかにあるカーブのみでできた地面。壁には同じおおきさの小さな窓が等間隔で開けられ林の光景は頭の中でひとつにつながる。林を抜けとびらを入りまたとびらから出てゆく、靴あと/軌跡が室をゆるやかに分ける。

ところで、中山さんのレクチャーを聞いているといつも不思議な気持ちになる。いわゆる建築家の語るレクチャー、っぽくない。中山さんにより計画されたものでありながら、すでにこの世で生まれ・語られてきた物語(物語「的」という意味ではない)を聞いている、といった感覚にどちらかというと近い。(そんな風に語られた物語は「誰か」のためのものでなく、みなそれぞれの距離感で受け入れているところがさらに不思議だ。)そして中山さんのつくる建物からも同じような印象を受ける。

ぼんやりと頭に浮かんだのは松岡正剛さんがミルチャ・エリアーデについて書いた文章の中の一節「原郷」についてのことだった。現代の多くの人々は名指しできない原郷を喪失している、そこでの感覚が本来の意味での「ノスタルジア」であるといった内容だ(この部分に、先の不思議さに似たものを感じる)。そこにはこうも記述されている。そのノスタルジアにはどんなに小さくても「結界」が必要なのだ、と。

そこで多少強引ではあるが次の仮定を立ててみる。中山さんの建物を中心としてでき上がる、原郷への志向にも似た構図から、中山さん自身がとても注意深くそして慎重に(結界が持つ)象徴的なものをあつかっているのではないか、という風に。
いわゆる「象徴」というものは「意味」を発生させるだけではなく、見る・体験するものの内で、「契機」や「ポイント」のようなものとして働く(たとえば「とびら」だ)。つまり中山さんの取扱い方は「『知覚や感覚の呼び覚まし』を、強度のある物語から豊富な『意味』を減少させる事により行う」ということだと言えるのではないか。ロマン主義的な、または場所に対するノスタルジー、あるいはポストモダン的な意味の操作としてでは決してなく。あくまで建築における「現代性」を表出するために浮上させる「象徴性」(それはとてもパラドキシカルだ)として。

レクチャーの冒頭に中山さんが話された今年度アーキフォーラムのテーマに対しての答えが思い出される。
そしてそのことをこのように例えることができるだろうか。ガーデンを「管理」し「統率」を執るのではなく、そこにある植物の動きを科学者のように「観察」し、あるいは「読み取り」そしてごく自然な「流れ」をつくるすぐれたガーデナーのようである、と。そこでのガーデン/ガーデナーの関係性は、それらを一歩外部から見たとき「ガーデナーもガーデンの一部」としてある、という点が重要である。つまり木や草花や鳥や虫や訪れる人々と同じようにそのガーデンを形成するファクターのひとつであるということを理解しているということだ。
建築にもう一度戻してみる。特定の人物「建築家」による、ある思考の帰結としての「建築物」ではなく、つまりは帰結を志向せず、関わる人銘々が好き好きに使い方を見出せる場所をつくる人としてそこに「含まれている」ことを自覚するといったような感覚だろうか。

さらにこの地点から、今回紹介されたプロジェクトすべてに対しての共通ワード「地面」を考えてゆくことができそうだ。中山さんにとって「地面」とは「場所」のことではなく、むしろ「場所」を抽象化した先にあるものを指しているように感じる。一見、場所より地面の方が具象的に見えるが、場所という言葉が持ちえる(持ってしまう)「固有性」がまだ無い分より抽象的だし、なにより「一歩手前」的だ。さまざまな人が個々に機縁を見出せる自由さと気軽さをもっている、静的でなくつねにゆれうごく、できごとの基盤のようなものとしてその地面はある。

レクチャー後は今期アーキフォーラムの年間テーマ通り、共有され得る場を形成するための質疑応答に大きく時間が使われた。そこでは活発な議論があり、参加するすべての人それぞれの建築への関わり方にフィードバックできる内容が展開された。
もうひとつ大切なこと、それは設計者(中山さん)/O邸クライアント(岡田栄造さん)/構造家(コーディネーターの満田さん)の三者が「同じ場」にいたということだ。それぞれの立場の違いからくる矛盾性を孕みながらも、おなじ場で発言をしてゆく様は今期テーマを鮮明に体現するものであった。

終わりのころ、「『あの家』いいよね」と、岡田栄造さんがある質疑に対しての返答の中で自身の住宅を指してとても楽しそうに話される姿がとても印象的で素敵だった。そのとき中山さんも含めたみんなが同じところで、あの家をそれぞれに見ていると思った。
 
執筆者プロフィール
木村吉成(きむら・よしなり)建築家・大阪工業技術専門学校 非常勤講師・大阪市立大学居住環境学科 非常勤講師/1973年 和歌山県生まれ/1996年 大阪芸術大学芸術学部建築学科 卒業/1997年 同大学 根岸一之研究室研究生 修了/1997年 狩野忠正建築研究所/2003年 松本尚子と木村松本建築設計事務所を設立
松本尚子(まつもと・なおこ)建築家・大阪市立大学居住環境学科 非常勤講師/1975年 京都府生まれ/1997年 大阪芸術大学芸術学部建築学科 卒業/1999年 同大学 根岸一之研究室研究生 修了/2003年 木村吉成と木村松本建築設計事務所を設立
 

□第1回講演:
中山英之:これまでつくってきたもの
ゲストコメンテーター:岡田栄造(京都工芸繊維大学準教授・O邸クライアント)


□日時: 2010年4月24日(土)

□中山英之プロフィール:
■略歴
1972年 福岡県生まれ/1998年 東京藝術大学美術学部建築科卒業/2000年 東京藝術大学美術学部建築科大学院修了/2000-2007年 伊東豊雄建築設計事務所/2007年 中山英之建築設計設立
■賞歴
2004年 SD Review 2004 鹿島賞受賞/2007年 第23回吉岡賞受賞/2008年 六花亭Tea House Competition 最優秀賞
■主な著作
2010年 スケッチング(新宿書房)