アーキフォーラムの年間テーマは「誰がために建築は建つか」。講師に佐藤敏宏氏を迎えることによって、このテーマはより多義的な問いになる。フォーラムとは、もともと古代ローマの公共広場(フォルム)のことだから、佐藤氏が公共について、アーキフォーラムという場で語るというのも奇遇なことだ。
佐藤氏は福島でまったくの個人として活動を行っている。既存の領域・組織に帰属せずに活動を行う。経済的利益や名誉を追求することを放棄しているから、ポジショントークをしない。そんな人の発する“公共”は、誠実で清々しい。
今回の講義は、既成のレクチャースタイルを批評する試みでもあった。佐藤氏は予定調和を崩し意表を突く。まず、公演に先だって講義内容がウェブ公開された。事前に読み込んでから参加することで、講師のお話を拝聴して帰るという、おきまりの聴講の形式を脱しようという意図だ。プリントアウトするとA4用紙75枚にも及ぶ膨大なレジュメが本人によって作成され、(2010年8月31日)現在も閲覧することができる。
また、ツイッターではコーディネーターを挑発し、学生は入場禁止と煽るなど、幕前から派手なパフォーマンスで注目を集めた。天の邪鬼なユーモアで煙に巻きながら、本気のアジテーションをしかける。
コミュニケーションは、やはり生が一番とあって、当日は多くの来場者で席が埋まった。一人ひとりとツーショットの記念撮影をする、という佐藤氏独自の交流法も披露され、ライブにしかない空気を生んだ。
レジュメが公開されているので、個々の内容をここで詳しく追うことはしないが、ぜひレジュメを参照していただきたい。講義は、ことば悦覧とそれにまつわる話から、公共圏、建築スフィアに関する話へと続いた。広がったり脱線したりしながら、どれもどこかで繋がっている。始まりも終わりもないレクチャーが制限時間によってトリミングされたという印象で、リゾーム的な構造を感じた。
収まりきらない建築談義は、コーポ北加賀屋に会場を移し、夜通し行われた。このような後編が楽しめたのも、関西の建築スフィアの熱意と、佐藤氏の人柄のなせる技だろう。
佐藤氏の活動記録は、レクチャーと同様ユニークな構造をしている。レジュメもそうだが、意識的に最小限の編集にとどめた素材の塊として放り出されている。編集という意図を極力入れないように注意して、受け手が編集できる余地を残している。
きっと、佐藤氏の活動と人物は、幾通りもの解釈の可能性があって、そのことに意味がある。読み手が今立っている地点と、たとえば社会の関係が、佐藤氏の活動を通して見いだされる。佐藤氏の活動は問いを喚起するし、その活動の中に答えも発見できるかもしれない。問いと答えは読み取り方によって変わる。
ところで、レクチャーとその前後のことを考えていて、二冊の書籍を思い出した。僭越ながら、その二冊を紹介することと併せて佐藤氏の活動と人物について書いてみたい。二冊とも広く知られた書籍なので、紹介というのも変だが、佐藤氏の活動と重ねて読むと興味深い。
一冊目は、『ちくま日本文学006 寺山修司』(筑摩書房 1991)。
佐藤氏の人物や活動は、暗黙知的な共有がないと、取っ付きにくいと感じられる場合もあるのではないかと思う。私にとって佐藤氏は父親世代である。世代間の気質の違いや、生きてきた時代の違いがある。それに加えて佐藤氏は個性的な人物だ。(おそらく意図的な)誤字脱字と、ファンキーなレイアウトセンスに初めは面食らう。レクチャーや活動を論理的に理解する前に、その源泉となる感性を共有したい。
寺山修司は、佐藤敏宏の側から佐藤敏宏を理解するための必読書と言って良い。寺山修司のどれか一冊を選ぶのは難しいので、『家出のすすめ』(角川文庫 1972)、『書を捨てよ、町へ出よう』(角川文庫 1975)の一部を含むダイジェストを挙げておくことにする。
寺山修司は、制度から自由になり個として自立することで、現代の矛盾を見た。切なく生々しいが温かくユーモラスな稀代のアジテーターだ。佐藤氏は、既存の領域・組織に帰属せずに活動を行い、「現代のシステムと生活世界の間に発生する病」を察知する。その鋭さは寺山修司から佐藤氏へと引き継がれた感受性だろう。佐藤氏の場合は、口語体でアジテーションを行う。文章から背骨を抜き取って、ことばを遊離させたような語り口で、前後の接続を曖昧にする。そうすることで、言説をステイトメント(声明)から遊戯的問いかけに変換している。この語り口の遊戯性は「システムに対抗する手段はアートなどの意図した遊びだ」という佐藤氏の信条と連続する。ハーバーマスの公共圏、システムと生活世界の関係など、具体的なイメージを持たずに聞くと難解なことが、佐藤氏が語ることで日本人の体質にあった柔らかさを帯びる。ことばは骨格からほぐされていて、私達の実体験と繋がりやすい。独特の文体で書かれた活動記録も、読み込んでいくと自然なリズムで読めるようになる。
もう一冊は、『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』(新潮文庫 1999)。
これは対談の記録だ。私達、若い世代が佐藤氏の活動や、個と社会の関わりについて理解するのに最適のガイドラインだと思う。コミットメント(関わり)、デタッチメント(関わりのなさ)という概念をキーワードに、村上春樹の作品の変化から、カウンセリング、学生紛争、オウム事件、阪神大震災、若者、時代の気分などについて横断的に語られている。この書籍の内容は、レクチャーの内容と重ねて読める点があまりにも多い。
村上春樹は海外滞在と『ねじまき鳥クロニクル』の執筆を経て転換期を向かえており、小説を書く上で追求すべき潜在的な主題が、デタッチメントからコミットメントへ変化しているという。これに応える河合隼雄は、日本のユング派心理学の第一人者にして臨床心理学者。一見デタッチした姿勢で行うかに見える分析治療が、実は深く静かなコミットメント無くしては行えないという。
佐藤氏は、「既存領域に帰属しない」というデタッチメントと、「お前の家は俺の家」と初対面の人の家に泊まっていくような強烈なコミットメントの不可思議な振れ幅を持った人物だ。本人は「それでバランス取っている」とおっしゃっていた。
コミットメント、デタッチメントは、それ自体の是非を問うようなものではなく、対になった概念だ。是非が問われるとすれば、盲目的なコミットや、内向的なデタッチで、言い換えれば主体的であるかどうかだ。寺山修司についても、村上春樹についても、佐藤敏宏についても、主体的で激しいデタッチメントから、主体的で強いコミットメントを獲得したように思える。このことは、レクチャーで語られていた「主体-主体の関係(コミュニケーティブな合理性の関係)」を理解する鍵だと思っている。主体性の問題は自立の問題でもある。佐藤氏の自立に関する挑発は、学生に対してだけ向けられた問題ではない。
寺山修司で育った若者が、ウエットな出自からウエットに主体性を獲得していったとすれば、ドライな時代の若者は、何を乗り越えどんな主体性を獲得できるだろうか。佐藤氏の活動は大切な問いとヒントに満ちている。そして、幸い私たちはそれをいつでも参照することができる。佐藤氏の活動は、祭りと遊びの姿をして、ウェブに記録、公開されている。
TAF設計 佐藤敏宏の建築と生活 http://www5c.biglobe.ne.jp/~fullchin/p2/p-2.htm