誰がために建築は建つか 第6回講演:難波和彦
建築家は住宅で何を考えているのか


 
タイトル:形式化と感性化との間で  執筆者:河田剛/とのま一級建築士事務所

前の方では大阪市立大学時代の卒業生たちが難波さんとにこやかに談笑している。懐かしい光景だ。
司会者の山口君は同大学難波研究室の卒業生で、満田さんは前職佐々木睦朗構造計画研究所で箱の家を数軒担当していたということもあり、アットホームな雰囲気のもと講演会はスタートされた。
かくいう私も難波研究室出身である。ちょうど10年前の2000年大阪市立大学に就任されて間もなく開催されたアーキフォーラム(コーディネーター大島氏の第6回ゲスト)で初めて難波さんを見た。その頃の私は恥ずかしながらほとんど難波さんの事を知らず、外国人のような風貌から、黒船をみるような感覚で話を聞いていたことを覚えている。 その時のタイトルは「 ファブリケーション・システムの追求」。もちろん「箱の家」の話だ。その年の2000年にはNo34が竣工し、集成材シリーズが始まった頃なので、それまでの在来木造シリーズ、鉄骨造シリーズでの経験を踏まえ標準化の工程をまとめた内容と記憶している。それ以後、「無印住宅」「COCOLABO」といったこのタイトルが宣言だったかのように挑戦的な取組を行っていく。そして今回のタイトルは「 建築家は住宅で何を考えているのか」。難波さんが考える住宅に対する原理的な内容が聞けそうで期待感が募る。前置きはさておき、10年の時間を経て改めて聞く建築家難波和彦の住宅論をしっかりレビューしていきたい。

前半は、「箱の家」の誕生から先に述べた在来木造シリーズ、鉄骨造シリーズ、集成材シリーズを経て、「実験住宅アルミエコハウス」まで、流暢でユーモラスに進行されていった。同じフォーマットによる説明がそれぞれの作品の違いを際だたせる。その中でもNo1の存在に勝る物はない。ローコストということもあり、敷地条件を考えることもなく、1週間でプレゼンしたとの事。そうしたある種、無意識に近い感覚で生まれたものの中に、後に提唱した「建築の4層構造」が見て取れるのが興味深い。「建築の4層構造」とは第1層−材料・構法・構造学、第2層−環境工学、第3層−計画学、第4層ー歴史・意匠学に分類される難波さんが提唱したサステイナブルデザインの基礎理論である。一見標準的なマトリックスに思えるが、難波さんのバックグラウンドをみるとこれら全てのエッセンスが、自身にこびりつくように備えられていることがわかる。それはなんといっても師である池辺陽の存在だろう。池辺氏の研究テーマは多岐にわたる。モデュールや建築生産などの工業化的視点(第1層)、自然と人間の融合、設備機器のユニット化(第2層)、1950年代に設計された小住宅シリーズで見られる一室空間住居、時代精神の中の建築家としての社会的役割(第3層)、そして池辺氏を通して捉えた戦後の日本建築史、モダニズム史観の構築(第4層)。多様なテーマを取り組む池辺研究室で長い年月を過ごしたことを思えば、それらの獲得は容易に想像がつく。石山修武氏はNo1をみて、「この住宅は何か戦後の建築感があり、歴史を感じる。」と評したとの事だ。この時難波さんは箱の家No1から滲み出た、これまでに身についていた自身の建築感を改めて意識したのかもしれない。

それから「箱の家」は現在にまで続いていくのであるが、なんといってもクライアントの存在を忘れてはいけないだろう。特に、崩壊しようとしている家族や若い夫婦からの依頼が多いという。このようなまぎれもなく建築家に依頼する家族との130件もの住宅は、カタログ的にレイアウトし直すとその特徴がよくわかる。それらは、ハウスメーカーが建てる同数件のカタログとは確実に異なる。それを例えるなら、一人一人の個性のある足を採寸し作られた靴職人の作品を綴ったカタログに近い。一見、様々なヴァリエーションの品々が並んでいるように思うが、一つ一つに使い手と作り手の関係があらわれているまとまりとしてのカタログである。難波さんは言う、「費用をかければよい設備デザインで環境を制御するのではなく、建築家による建築的作法によって制御する。それを建築的にストレートに表現することを目指している」と。数多くの反復と修練によって作り上げてきたゆるぎない質がそこにはある。No1の特殊解で生み出された「箱の家」のコンセプトはそれ以後、数を重ねる毎に小さい振幅を共振させ、フェイズの節目に大きな揺れとしてカタログの中に現れることになる。

その一つと感じるのは「無印住宅」だ。無印良品は、2003年の「無印良品の未来展」を期に、単一のデザインされた工業製品から、ライフスタイルをも内包する工業製品への転換がはかられた。無印良品を使い手自身が編集することで、ライフスタイルをもデザインしようとする意図が感じられる。私はクリストファーアレグザンダーのサブセットの構造を思い出す。「都市はツリーではない」によるとツリー(単一の関係性)ではなくセミ・ラチス(複雑的かつ調整的関係性)を作り上げる構成単位のありかたをサブセットと定義している。簡単に言うとサブセットは重なりを誘発させる単位であり、まさにライフスタイルを包含した無印良品は豊かな住空間を全体とするサブセットと同意といえる。でこれらの中心的存在である「無印住宅」に「箱の家」の難波さんに白羽の矢がたったわけだ。「無印住宅」のコンセプトは「可変性」「一室空間」「モデュール」であり、これは「箱の家」に通ずるコンセプトであるが、「箱の家」との違いは、これらを作り上げる建築要素を「MUJI軸組」「MUJI床版」「MUJIサッシ」というまとまりとして部品化している点である。それは「箱の家」を構成するサブセットの工業化といってよい。これらサブセット群の中にはもちろん、建築家難波和彦のデザイン理念もはいっている。難波さんは建築デザインを語るときいつも池辺氏の「デザインの鍵」の一節を引用する。

「建築の目的は、ある定まった人間に対して、それに適応した建築をつくることではなく、建築と人間とが結びついたときに、そこに新たな人間が生じ、また建築自体もその人間によって変化するというダイナミックなプロセスであることを忘れてはいけない。」

「箱の家」では、この理念は住み手の生活観をごろっとかえる一室空間や、透明なファサードに反映されている。「無印住宅」ではこのような理念をもサブセット化されているわけだ。そういう意味で「無印住宅」は工業化住宅でありながらも、しっかりと建築家・難波和彦による感性的サブセットで構成されており、それらを住み手が自由に選べるようにシステム化された工業化住宅の新しい姿(セミ・ラチス的)を提示している。

さらなるチャレンジが語られる。No101以降の室内環境の検証によるエコハウスへの実験も未だかつて無い試みだ。一般的に実験は仮説を検証するために行われる。なんなりとこれまでの100もの住宅を仮説的に扱い、これに抵抗することなくその先なる理を求めて進んでいく姿は建築家というよりはむしろ科学者に近い。共同研究者である前真之氏の協力のもと、自身で設計してきた「箱の家」の室内環境の実測調査からデータを抽出しその検証結果を新たに他者的に扱い「箱の家」にフィードバックしていく設計手法はまさに科学者的といってよい。話を聞いているうちに、このような新しい取組は確実に「箱の家」がサステイナブル住宅に近づいているのだと実感した。
と同時に、私はその話の中で不意に見せたある表情に興味を引かれたのである。「新しい本(建築の理)では共同研究者である前君が辛口に箱の家の通信簿を書いている」とうれしそうに話された時だ。後日「建築の理」の通信簿を拝見したが確かに辛口であったが、そのあとがきで難波さんはこのように述べている「この研究によって東京大学でデザイン志向の学生も環境研究室へ志望しだしたこと、そして前氏のような若き研究者、環境デザインを指向する建築家が新しいサステイナブルデザインの世界を作っていくだろう」と。これを目にするや、あの頃常に我々学生に可能性と期待感をユーモアをもって接してくれたことを思い出され、人間・難波和彦による多くの経験が、確かに今の私に大きな影響を及ぼしていることを改めて感じたのである。そして、それは多くの輩出した学生が思っている事に違いないと。

最後に会場からの質問で、自身の住宅観の原点が幼いときに過ごした町屋の経験による所が大きかったと話された。町屋の襖と障子によって間仕切られた空間では、どこにいても家族の気配が感じられ、建具を外すとトンネルのように奥行きがあり裏庭へ風が抜ける空間が好きだったと。
私は最後に思い切った仮説を立ててみたい。このような原風景を備えた人間・難波和彦、池辺陽の弟子である建築家・難波和彦、これら両端から作られる大きな振幅を行き来しながら洗練された「箱の家」シリーズ、「建築の4層構造」それ自体が、これからの新しいサステイナブル建築のサブセットとなっていくであろうと。そして、これからの難波さんによる、未来の「箱の家」の姿も見たいし、見たことのない新しい建築も見たいと思った。


 

執筆者プロフィール
河田剛(かわた・つよし)とのま一級建築士事務所/1977年兵庫県生まれ/2000年大阪市立大学工学部建築学科卒業/2003年大阪市立大学大学院工学研究科建築学専攻修士課程難波・中谷研究室修了/2003年-2004年アイ・シー・ユー一級建築士事務所勤務/2007年とのま一級建築士事務所設立/2008年東京大学大学院工学系研究科建築学専攻松村研究室研究生/2009年近畿大学文芸学部非常勤講師

 

講師:難波和彦(建築家)

□Why 難波和彦 ?

今回のアーキフォーラムでは建築家の難波和彦氏をお招きします。

難波和彦氏は、希有な建築家です。長年続くハウスメーカーと建築家の棲み分けを他所に、一貫して「箱の家」というシリーズを作り続けているからです。デザインが消費されるこの時代に、消費されない建築の原型を生み出そうとする一連の活動は、実験と改良を繰り返す発明家のプロセスに似ています。あるいは淘汰と進化の瞬間を見定めようとしている生物学者のようでもあります。一つのシリーズで時間的にも量的にも想像を超えるところまで突き抜けようとする建築家像は、まさに孤高の存在と言えるでしょう。

今回の講演タイトルは「建築家は住宅で何を考えているのか」。本シリーズのテーマに直結する、興味深いタイトルを設定して頂きました。一般的な建築家の思考回路を総括するとも捉えられるし、自分自身の作品説明とも捉えられる、この両義的な問いかけがどのような話に展開していくのか注目です。

「箱の家」を選ぶ施主像とは?技術的でありながら生活者的である住宅とは?そして建築家が住宅を作る意義とは?氏にとって久方ぶりの大阪で、立体的な議論ができればと思います。(山口陽登)

□第6回講演:
建築家は住宅で何を考えているのか/難波和彦

□日時:2010年9月25日(土)


●講師プロフィール
 ・1947年 大阪生まれ
 ・1969年 東京大学建築学科卒業
 ・1974年 同大学院博士課程修了
 ・1977年 一級建築士事務所 界工作舎 設立
 ・1996年 一級建築士事務所(株)難波和彦+界工作舎 代表取締役
 ・2000年 大阪市立大学建築学科教授
 ・2003年 東京大学大学院建築学専攻教授
 ・2010年 東京大学名誉教授

●主な著書
 ・1989年 『現代建築の発想 ( 共著 )』( 丸善 )
 ・1991年 『建築的無意識』( 住まいの図書館出版局 )
 ・1999年 『戦後モダニズムの極北:池辺陽試論』( 彰国社 )
 ・2000年 『箱の家に住みたい』( 王国社 )
 ・2001年 『箱の構築』(TOTO 出版 )
 ・2006年 『箱の家 エコハウスをめざして』(NTT 出版 )
 ・2008年 『建築家は住宅で何を考えているのか ( 共著 )』(PHP 新書 )
 ・2009年 『建築の4層構造 サステイナブル・デザインをめぐる思考』(INAX出版)
 ・2010年 『難波研究室 活動全記録』( 角川学芸出版 )
 ・2010年 『建築の理:難波和彦における技術と歴史』( 彰国社 )

●主な受賞
 ・1992年 川口都市デザイン賞、新建築グッドインテリアデザイン賞
 ・1995年 新建築吉岡賞、住宅建築賞、東京建築賞、「健康な住まい」コンテスト優秀賞
 ・1996年 国立国会図書館関西館コンペ優秀賞
 ・1998年 住宅建築賞
 ・2000年 TEPCO「快適住宅コンテスト」優秀賞
 ・2004年 JIA 環境建築賞