誰がために建築は建つか 第12回講演:石堂威
過去から未来へ −リアルとフィクション−

※1985年発行       

 
タイトル:編集行為の普遍性  執筆者:山崎泰寛(編集者)

私たちが石堂威(いしどう・たけし)さんのレクチャー「過去から未来へ ─リアルとフィクション─」を聴いて9カ月が過ぎた。この原稿を書き出して進まないまま、「あのレクチャーで伝えられたことは何だったのだろう?」と、私はたびたび思い出していた。というか思い出さざるを得ない場面が多数あった。石堂さんなら、何と言うだろう。このレビューで念頭に置いておきたいのは、この問いである。

レクチャーのフレームを思い出しておこう。石堂さんは、1942年生まれ。1964年に新建築社に入社し、6月号から編集に参加している。1974年から臨時増刊号を複数編集された後、1980年から91年まで『新建築』の編集長を務められた。ほかに、1985年の『住宅特集』と、1992年の『GA JAPAN』の創刊編集長でもある。

この日は、石堂さんが新建築でなされた仕事を中心に紹介された。たとえば、1964年10月号のオリンピック特集がどれだけ時間との闘いだったか、聞くだけで震えるほどだ。私の記憶によると、ゼネコンが撮影した記録映像(映像タイトル「かわったかたちの体育館」)でも、夜間の工事の様子が映し出されていた。映像では工期は順調だったと語られていたが、実際にはぎりぎりの工程だったことがよく分かる。1964年当時、校正段階で印刷所に直接写真を入れてしまうという進行は今想像される以上に冒険だったはずである。万博特集も同様だ。「オープン後、東京の万博関係者は、ぱったりと万博の話をしなくなった」というエピソードは興味深い。

レクチャーは、「羅針盤に定めていた」という磯崎新氏と、篠原一男氏の紹介に続き、石堂さんが熱心に取り組まれた臨時増刊号の話題に移る。1974年に出版された「近代建築史再考 虚構の崩壊」という特集が、初めて刊行された臨時増刊号になる。近代建築を虚構だと位置づけ、100点の作品を選び、選んだ理由を100本の論考として掲載する。それ自体が十分編集的態度だと思うが、さらにその中に、時系列も様式も社会的文脈もすべて無視して磯崎氏が作品を選び、テキストを書いたページをつくってしまった。この臨時増刊では、「権威化したモダニズム建築以外の建築のことも理解してほしかったからだ」という。

雑誌の編集を経験した私としては、月刊誌を編集しながら、数年単位で準備する臨時増刊を企画・編集するなんて、その膨大な作業量を想像するだけで目眩がする。コスト面でも今はなかなか許されにくい状況にあると思う。しかし、基本的に、建築家が新築の自作にコメントを加えて発表するスタイルの新建築であればこそ、時に差し挟まれる批評や、臨時増刊号として発表された特集の切れ味が際立つのだろう。

1980年に新建築の編集長となった石堂さんは、2つの改革を成し遂げた。ひとつは文体の変更。もうひとつは、巻末に記載される建築データの仕様を統一し、定着させたことだ。私は、建築概要のようなデータの表記方法を揃えるのは並大抵のことではなかったと思う。こういった枠組みづくりからは、あまり派手な印象は受けないだろう。しかし、雑誌の統一感を出すためには絶対に必要だし、その方法が他誌にまで波及したのだから、普遍性は明らかである。発明と言ってもいい。また、臨時増刊をまとめるタイミングに絡めて、「10年を一冊にまとめると、時代の襞が濃厚に見える。1年ごとでは見え過ぎるし、100年では日常が見えない」という発言もあった。編集者としての仕事を10年単位で考える機会でもあり、編集者のキャリアにとっても同時代性を保って編集できる面白さがあるのだろう。

その後、住宅特集の編集長を経て新建築に戻った石堂さんは、1991年にGAに移っている。GAJAPANの編集長として「新人発掘」を命ぜられたものの、当時は複雑な心境にあったと伺わせた。ある意味でオールラウンドに未知の建築家を取り上げる「新建築」的な発掘のあり方と、セレクトショップ的なチョイスに真骨頂を発揮するGAのあり方は、似て非なるものだったのだろう。

質疑応答も興味深いやり取りが続いた。最後の質問者(RADの川勝真一氏)が、編集者は責任感を背負っているのではないかと切り出したところ、石堂さんは、「責任感という何か重いものではなく、面白いと思ったことを突っ込んでやってきた」「(責任感というよりも)変なことはできない、というぐらいではないか」 と答えている。実は私にも、この心情はとてもしっくりくる。そう、面白いかどうか。正確に言うと、(私が)面白いと思うかどうか。そして他者(読者)と共有できる面白さなのか。石堂さんにとっての面白さの根拠のひとつが、虚構として扱えるかどうかだったのは間違いないだろう。少なくとも、面白さ=目新しさではないはずだ。新建築という、一見新築パンフレットのようなメディアを、それ(=新建築の誌面)自体が虚構であるとはっきり認識した上で、「雑誌の役割分担は自殺行為」「私は、作品紹介に、必要であれば批評を加えた」とはっきり述べられた。これもまた興味深い発言である。

石堂さんはこうも話された。「建築家にとって作品とは何なのか。作品がすべてだとは誰も思っていない。必要とされていないかもしれない」「原理という言葉が軽くなっているのは現代の特質であって、軽くなっていることを良い/悪いとは言えない」「今の時点で原理だと思ってやることの大切さがある。そこは虚構だと思う」。レクチャーの中で「1957年に新建築の編集部員全員が解雇されたという事件の後、編集者は呼び出し役であって、相撲を取ってはならないという不文律ができたように思います」と語り、新建築社内では主張することを封じられた石堂さんだ。誰かに何かを書かせるわけでも、どこかの新奇な建築を掲載するのでもなく、ひたすら自らが選択を継続することで編集を完遂する。その中でこそ、設計に理念を持ち込んだ近代建築に「虚構」という表現を与えた判断は、重く響く。その石堂さんが設計方針に理念を持ち込んだ近代建築を考えるわけだから、むしろ虚構としてしか取り扱えない、あるいは虚構として近代建築を取り扱うことがもっとも真っ当かつ「面白い」と思われたのかもしれない。

余談だが、アーキフォーラムは建築系のレクチャーにしては珍しく、編集者の肉声を聞く機会が少なくない。記録によると、松隈洋氏がコーディネーターを務めた2002〜2003年のシリーズは、初回の7月27日に川添登氏が「メタボリズムから日本万国博へ」、11月30日には故宮内嘉久氏が「前川國男の求めたもの」として、そして2003年6月28日には平良敬一氏が「戦後ジャーナリズムと批判的地域主義の現在」というタイトルで講演している。松隈氏のシリーズは『住宅建築』誌上に記録が残っているはずだ。そして山崎が松岡聡氏、岸川謙介氏とコーディネーターを務めたシリーズ「国境と建築」でも、二川幸夫氏にお出ましいただいて「建築のこと」というタイトルで話していただいた。石堂さんは、1926年生まれの川添氏、宮内氏、平良氏とは16歳差、1932年生まれの二川氏とは10歳違う。高度経済成長期からバブル期にかけて、たくさんのお仕事をされてきたことになる。

過去の編集者の講演タイトルを並べただけでも、石堂さんがタイトルに選んだ文言が非常に抽象的であることが分かる。固有名詞はゼロで、何も「建築らしい」文言がない。しかし講演を聴き、タイトルをよく見てみると、過去/未来、リアル/フィクションという、二つの対立項が立てられていることに気づく。過去、現在という時制から現在が抜け落ちているのは、そこにこそ編集者が役割を果たす仕事が存在するという、石堂さんからのメッセージではないか。

だから「リアルとフィクション」というサブタイトルは意味深だ。それぞれが何を指してリアルといい、フィクションというのか、よく考えなければいけない。建築という分野では、一般的に建築そのものだけがリアル(実物)で、書籍や模型、写真などはフィクション(虚構)の領域にあると思われがちだと言えるだろう。しかし、例えば新建築というメディアは雑誌という実体を伴っており、間違いなく本としてリアルな物体である。受け取る側にとっては、実作もメディアも、どちらもリアルなのだと思う。 フィクションとしてつくられたものがリアルに存在するのだから。

つまり、過去と未来の間には、現在=日付を伴ったメディアがあり、リアルとフィクションの間には、それそのものがフィクション(非実物)でありリアル(物体)であるメディアが存在するのである。私はそういった態度で建築を見、感じ、生き、編集をする人間が、これからも必要となると思った。石堂さんはレクチャーの最後にこう問いかけられたからだ。

「これまで建築専門誌の大きな役割は、写真や図面、テキストによって、建築を伝えることでした。情報を発信するという点で、雑誌は読者に対して特権的な立場にいた。今は、建築の展覧会があると、翌日には写真、図面、テキストが、時には建築家自身の手によって公開される時代になっています。誰でも自分の情報を発信したり、編集したりすることが容易になった。昔と比べて信じられないほど、猛スピードであらゆる種類の情報を手にすることが可能。最後に質問したいと思っています。編集者、あるいは雑誌は、まだ必要だと思いますか? ということです」

確かに、発信する人や機会は増えただろう。しかし、というかだからこそ、面白さを見つけ、追求し、まとめることを仕事とする編集者の存在はより重要さを増しているのではないか。例えば、魅力的な特集を組んでいた批評系の雑誌が失われ続けた2000年代ではあったが、まるでそこに掲載されるはずの特集を代理するような形で、批評的なテーマの展覧会が開かれている。アートの文脈でも過去の作家展とは異なるスタイルの展覧会が企画されている。建築家のレクチャーやワークショップはひっきりなしに開かれている。これは、メディアの様相が、雑誌一辺倒ではなくなり、展覧会やレクチャーといった多様さを持ち始めたからなのではないか。

あるいは、これまでも存在していたそのような発表方法が、メディアとして役割を果たし始めた時代、それが今なのかもしれない。単に電子メディアが既存の雑誌メディアに取って代わるなどという話とは違う。多様化すればするほど、どう選ぶのか、何が面白いのかを見極め、形にする編集者の役割が、明瞭なものとなるはずだ。 石堂さんがレクチャーを通じて伝えたかったのが、編集という職能の特権性(特別さ)ではなく、普遍性だったとするならば、今、私たちはどう振る舞うことができるのだろうか? レクチャーの冒頭、石堂さんは「東日本大震災を考えるにあたって、戦後の日本を振り返っておくのも多少は役に立つかもしれない」と、風邪で声を出しづらい中で語り始められた。編集という作業を放置せず、選択し続けること。そして選択の理由を放棄せず、語り続けること。「面白さ」に対して正直であること。編集者2.0の時代が、やってくる。


 

執筆者プロフィール
山崎泰寛(やまさき・やすひろ)編集者。1975年島根県出身。横浜国立大学教育学部卒業。同大学大学院教育学研究科、京都大学大学院教育学研究科修了(教育社会学講座)。保健室、学校建築、学習用家具を研究。書店、ギャラリーの企画運営に携わり、2007〜11年『建築ジャーナル編集部』勤務。現在、京都工芸繊維大学大学院博士後期課程在籍(松隈洋研究室)。2002年より、藤村龍至らとメディアプロジェクト「ROUNDABOUT JOURNAL」を展開中

 

講師:石堂威(都市建築編集研究所)

□Why 石堂威 ?

今回のアーキフォーラムでは都市建築編集研究所代表の石堂威さんをお招きします。
石堂さんは、言うまでもなく日本の建築界に大きな影響を与えてきた編集者の一人です。改めて石堂さんがこれまで編集に携わられた本を眺めると、その広さと深さに驚きます。
まずは「広さ」。1980年から1995年まで「新建築」の編集長、「新建築 住宅特集」の創刊編集長、「GA JAPAN」の創刊編集長を歴任されました。その間、バブル景気が訪れ、そして崩壊。建築が量産されたこの時代に、今も続く2大建築雑誌の編集長を務められました。建築が持つ強さと社会状況に左右されてしまう脆さの両輪を経験された事と思います。
そして「深さ」。「光の教会 安藤忠雄の現場」「フランク・ロイド・ライトの帝国ホテル」「清家清」「篠原一男 住宅図面」「村野藤吾建築案内」 など、一人の建築家にスポットを当てた書物は、新建築やGA JAPANといった雑誌のマクロな視点とは対照的にミクロでかつ奥行きのある視点を、書物を通じて提示されたと思います。
編集とは情報を相互に組み合わせる事で新たな価値を社会に提示する事だと思います。その意味で石堂さんの膨大な編集歴の中でも1991年に新建築の6月臨時増刊である「建築20世紀 part1,part2」、2005年にTOTO出版から出版された「日本の現代住宅」は、年代を区切り、建築を網羅的に俯瞰する事で客観的なアーカイブを構築するとともに、何人もの執筆者がそのアーカイブをリ・トリミングし、スポット的に論じるという二重構造を持つため、驚くほどの「広さ」と「深さ」、そして「新たな価値」を建築界に(いくつも)提示しているように思います。
このように石堂さんはこの50年の中で最も多くの建築を見てきた、最も客観的な視点を持つ人の一人であると言えます。今回のアーキフォーラムでは「過去から未来へ −リアルとフィクション−」というタイトルを提示して頂きました。編集を通じて建築を注視し続けた石堂さんが語る「過去と未来」は、新たな視点を私たちに与えてくれることと思います。

今、建築とメディアの関係は大きな変化のまっただ中にあります。この10年程の間に、新建築やGA JAPANとは裏腹に「建築文化」「SD」「10+1」といった建築雑誌が休刊になりました。
メディアは社会において建築を「伝える」役割を担っています。今回のシリーズテーマである「誰がために建築は建つか」の文脈にたって考えた場合、「誰がために建築を伝えるのか」という言葉が思い起こされます。いわゆる「編集方針」の中にこの意識は入っているわけですが、読み手がそのことを意識した眼差しをもつことで、「誰がために建築が建つか」という問いはより強固なものになると思います。
編集者の生の声を聞ける機会は多くないのが現状です。インターネットが普及する中、本を含めた建築メディアのあり方について会場の皆さんとともに考えることができればと思います。
(満田衛資+山口陽登)


□第12回講演:
過去から未来へ −リアルとフィクション−/石堂威

□日時:2011年4月23日(土)

●略歴
石堂威(いしどう・たけし)
 1942年 台北市生まれ
 1964年 早稲田大学第一理工学部建築学科卒業、新建築社入社
 1980年『新建築』編集長(〜91)
 1985年『住宅特集』創刊編集長(〜88)
 1992年『GA JAPAN』創刊編集長(〜95)
 1996年 都市建築編集研究所設立、代表。現在に至る
     書籍、機関誌等の編集制作を主に手掛ける
 現在、JIA「日本建築大賞」、大阪府建築士会「建築人賞」審査員

●編集を手掛けた主な書籍および共著
 『建築20世紀』(Part1、Part2) 新建築社
 『建物が残った』磯崎新著 岩波書店
 『建物のリサイクル』青木茂著 学芸出版社
 『光の教会 安藤忠雄の現場』平松剛著 建築資料研究社
 『フランク・ロイド・ライトの帝国ホテル』明石信道著 建築資料研究社
 『昭和住宅物語』藤森照信著 新建築社
 『都市環境学へ』尾島俊雄著 鹿島出版会
 『日本の現代住宅 1985─2005』共著 TOTO出版
 『清家清』( 作品集) 共著 新建築社
 『建築 風土とデザイン』徳岡昌克著 建築資料研究社
 『篠原一男 住宅図面』共著 彰国社
 『村野藤吾建築案内』共著 TOTO出版